「 呉氏の韓国入国拒否事件 背景に内戦と情報戦あり 」
『週刊ダイヤモンド』 2013年8月10日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 997
呉善花氏が韓国入国を拒否された事件は、「産経新聞」が一面トップで報じるなど、日本では大きく扱われた。拒否の理由は不明だが、彼女の韓国批判が原因であるのはほぼ間違いないだろう。呉氏は15年前に日本国籍を取得した。元韓国国民による祖国に対する批判は許せないという感情が、韓国内にあるのは確かだ。しかしそれが入国拒否という政府の行動につながっていくのは常識では考えられない。彼女が語ったように、これは言論の自由への挑戦であるとともに韓国の文明度をおとしめるだけのことだ。
民主主義や人間の自由を声高に叫ぶ韓国の良識派の人々も、呉氏の件については発信していない。彼らは、いま韓国はそれどころではなく、事実上の内戦状態にあると主張する。
内戦状態とは穏やかではないが、その意味を7月18日に、圓光大学教授の李桂夫氏がソウル市のプレスセンターで語っていた。
李氏は1980年5月18日に始まった「光州事件」についての詳細な報告を行った。死者および行方不明者が数千人に上った光州事件は、民主化運動を軍が制圧した事件だと一般的に信じられてきたが、実はそうではなかったという詳細な報告だ。
日本でも、光州事件は全斗煥軍事政権に対する市民の抵抗、反撃運動だとされて今日に至る。
だが李氏は、事件は北朝鮮の緻密な対南工作だったこと、北朝鮮政府の指示によって同国の特殊部隊が潜入し、彼らが主体となって戦った事実上の内戦だったことを報告した。
ちなみに私は光州事件が北朝鮮の軍事攻勢だったということについてすでに今年3月30日の小欄で報じたが、李氏はこう問うている。
もし光州事件が、軍事政権に抵抗する市民運動だったなら、なぜ、市民らは「わずか半日」で韓国南部地域の38ヵ所にわたる武器庫を襲撃し、ことごとく武器を奪って軍と対峙するなどということが出来たのか。なぜ、刑務所を6回も攻撃したのか。なぜ、市民らが装甲車まで入手出来たのか。市民軍の先頭に立った覆面の男たちの正体は何だったのか。多くの遺体が確認されたが、その中にいまも身元不明の遺体が2桁の数ある。彼らはいったい何者なのか。光州事件で「市民」と戦う警察官15人を捕虜にした功労で2億ウォンという高額の賞金を受け取ったユン・ギグォンという男は92年3月に越境して北朝鮮に行ってしまったが、その動機は何か。なぜ、この男は豊かで自由な米国ではなく、最も貧しくすべての自由が否定されている北朝鮮に逃亡したのか。
李氏が提起した問題点をもう一つ紹介する。脱北者がもたらす貴重な情報に歴代の韓国政権は正しく向き合っていないという点だ。例えば盧武鉉大統領の時代に、北朝鮮軍の一員として光州に潜入し、市民を装って韓国軍と戦ったと韓国の国家情報院で証言した金ミョングン氏に対しての言論封殺である。盧政権は金氏に対して二度とその話をしないように強い圧力をかけて脅迫したというのだ。
桜美林大学教授の洪熒(ホン・ヒョン)氏は「韓国の内戦」はずっと続いており、韓国は思想的に北朝鮮に敗北し続けていると指摘する。そうした中で、日本に対する非常識な非難も生まれてくるという。呉氏への入国拒否もその枠の中で考えれば、背景がわかるというわけである。
それにしても呉氏への入国拒否に限らず、慰安婦の像の建立を全米で進める韓国人の不条理な反日運動、朴槿恵大統領の対日歴史非難は、承服し難い。
問題はいかに対処するかである。幾十回も指摘されてきたことだが、日本側の情報発信が圧倒的に足りないのである。情報戦に敗北する国は滅びるのである。情報発信のための人員と予算こそ拡大しなければならない。